9月1日に四年ほど愛用してきたパソコンのモニタが突然真っ暗になって何も見えなくなり、そろそろ新しいのに買い換える時期なんだろうと判断して張りきって注文したDellのパソコンが今日届くまでなかなか不便な日々を送ってきた。で、今日はとりあえず古いほうのパソコンに新しいDellのモニタを繋いで使っている。
1日読了。「最近、小説が読めない」と記した翌日に読み始めて、その日のうちに読み終えた。
言葉で言葉を追いつめ追いつめられて、けれども閉塞はせず「虹の彼方に」突き抜けていくのかなるほどなるほどなどとさも得心したかのように頷いたりしてみたが、正直に言うと、何が書かれているのかよく分からなかった。よく分からないのに読んでいるのがすごく気持ちよくて、これは何なんだろうか。
7日読了。
アイデスの近くでわたしが書いているこの物語も含めて、ここでは、西瓜糖でじつにいろいろな物をつくる。――そのことを話してあげよう。
そう、なにもかも、西瓜糖の言葉で話してあげることになるだろう。 (p.11)
というわけで、「きまった名前を持たない人間のひとり」(p.13)である語り手「わたし」が「西瓜糖の言葉」で西瓜糖の日々や西瓜糖の世界についていろいろ話してくれたのだが、そもそも「西瓜糖」というのがどういうものなのかは話してくれず、物語も世界も、ふわふわしているような、ふらふらしているような、ぼんやりしているような、曖昧な感じに包まれていた。その気になればいくらでも分かったような気になれそうな曖昧さ。
この本の前に『虹の彼方に』を読んだからかもしれないが、高橋源一郎の文章で読んでみたいと思った。
パソコンのモニタが駄目になって不便な日々を送っている間に正式版がリリースされていた。必要は感じなかったがまあとりあえずヴァージョンアップ。
「その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。」という書き出しで始まる、45の小さな国の話。とても面白いものもあれば、それほどでもないのもいくつかあった。というこの文章を書いているのは、この本を読み終えた9月28日ではなくそれより二週間後の10月13日で、昨日は久しぶりに難波へ行った。御堂筋パレードと、数日前にオープンしたばかりのなんばパークスのせいだろうか、どこもかしこも人だらけでたいへんむかむかした。あと、暑かった。御堂筋パレードにもなんばパークスにも興味のないわたしは、ブックオフでSonic Youth『A Thousand Leaves』とROLLINS BAND『感電!!ロリンズ道〜ロリンズ・バンド・ライヴ(ELECTRO CONVULSIVE THERAPY)』という二枚の中古CDを買い、タワーレコードでBUTTHOLE SURFERS『WEIRD REVOLUTION』を買った。いずれも十年ほど前によく聴いていたバンドである。十年前、わたしはヘンリー・ロリンズの鍛え抜かれた肉体に憧れて薄暗い自室で筋トレに勤しみ、音楽雑誌から切り抜いたキム・ゴードンの写真を見つめながらしばしば苦しげな溜め息をもらしたものだった。当時、彼女はまだ母親ではなかった。わたしに恋人はいなかった。そんなことを思い返しながらジュンク堂へ向かい、『異国伝』の次に読んだ『13』が面白かった古川日出男の『沈黙/アビシニアン』(角川文庫)を買った。復刊されたサミュエル・ベケットの『蹴り損の棘もうけ』(白水社)も買うつもりだったが、実際に手に取ってみると買う気というか読みたい気がだんだんと失せてきて、しばらく迷って結局買わずに帰宅した。愉快な日曜日だった。